重んじたのは「人権」
(リブログ)学術記事
かつて、食事療法を中心に活動し、日本初の「外食の食べ方」の指針を示した書籍「外食コントロールブック」(文光堂)〔糖尿病患者向け)と、書籍「外食カロリーBook」(主婦の友社)(一般健常人向け、ダイエット向け)の、2種類の書籍を出版しました。2つの事業とも爆発的なヒット製品になり、外食カロリーBookは発売から2ヶ月、著者の私でさへ書店では入手できない、という異常事態を引き起こすほどの、書店に並べたらすぐ売れる、という本でした。いっきに60万部が売れました。
その時、なぜ、この本が売れたのか、そのノウハウを知る人は、私と塩沢さん(栄養士)さんと、出版部の編集者だけでした。ただの外見や料理ごとに食べ方を示したから売れた!と考えた競合他社の出版社たちは、類似本を沢山、出版しましたが、どれも市場からは淘汰され、私達の書籍だけが市場に残り、ネットがでてくるまでの期間、書店の店主で私の名前を知らない店主がいない、と言われるほど、著名になったことがあります。同じことが、一生使える「糖尿病の献立」にも言えました。
なぜ、私の出版する書籍が売れたのか?
実はコツは、重んじたのが、人は好きなものを、カロリーだけ気にすれば、何でも食べられるはず、カロリーだけ気にすれば、食べられない食品はない、という考え方です。食べられる人権は尊重すべき、という基本的な「人権」に対するスタンスを前面にだしたことだったのです。
この考え方は、もちろん糖尿病の食事療法に対する考え方でもあり、東京都済生会中央病院病院長の堀内光院長から私が指導された、食事療法の歴史を紐解けば、数多くの医師が研究してきて、たどり着いた考え方でした。1200キロカロリー以上のバランス食であれば、ビタミンやサプリなどの補充も不要である、という結論も、昭和40年当時には緻密に計算され結論づけられていた内容でした。
ですから1日1200キロカロリー以上の、バランスダイエットであれば、「●●制限」という「制限食」からは、一切、開放されるべきであり、むしろ「食べていけない食品がない。食事療法は人としての人権をもってして、指導しなくてはいけない。」。それが、糖尿病の食品交換表や、糖尿病の食事療法の「基本理念」だったのです。
その「基本理念」を書籍の中で「表現した」のが、「食べられない」という表現を一切、使わないということでした。
その考え方を重要視せず、見た目だけを模倣した競合他社の書籍は、次々と市場から消えていきましたが、私たちの書籍は、その「人権」を尊重してきた結果、30年ごしの超ロングセラーとなりました。ベストセラーの座が奪われたのは、インターネットの出現によって、だけであり、他の要因ではありませんでした。
GLP1ダイエットも同じです。食欲が抑制されるので、食べたいものを最低限、食べられますが、ある程度、食べたら、もう不要なエネルギーは「要らないから残したい」という衝動にかられる「食習慣がつきます。」。その食習慣を身につけ、体重を落とし、自ら、やっぱり痩せているほうが、生活が楽で、人とのつきあいもよくなり、周囲からの評価も高くなり、そして、食べられるものは何でも食べられる、ただし、1日バランス食で1200キロカロリー以上を維持していさへすればビタミンやサプリなどの補充の必要もなし、、そう気楽に考えて日常を過ごせるようになることに、その「凄さ」があるわけです。
あえて、GLP1ダイエットをしながら、サプリメントをとったり、お茶を飲む必要はありません。夏であれば汗をかきますから、汗と類似した電解質で、カロリーゼロの「アクエリアスゼロ」が、一番、よいでしょう、、そのくらいの「気遣い」で済む、それだけでよくて、他は「自由である」という基本的な「人権」を保持するダイエット法であるべき、と、私は思います。
こういうダイエットについての「考え方」の違いが、世の中に浸透するのか、しないのか、が今の私にとっての関心事です。
ただただ「糖質制限」といった、実際には何を制限したらいいのか、わからず、やみくもに舌にのって甘いと感じる食材を避けるという行為を繰り返すのがいいのか、。どうでしょう?
あるいは、「食事療法はきにせず、、」と食事療法について経験のない美容整形外科医達の言葉を信用するダイエットが通用していくのか、どうなるのか、「無知であることが自由である」と言われているような気もしないではないです。無用なサプリ、無用なお茶を、やみくもに宣伝してくる医師たちって、みなさん、怖くないのでしょうか?無用なものが価格に反映され高額にしているだけのダイエット法だと思わないのでしょうか?
今後、「GLP1ダイエット」が正しい「治療法」として、世の中に拡充していくには、こうした医師側、指導側の「哲学」が、重んじられる世の中になってくれればいいな、と思います。