糖尿病学会で偉くなろうと思わなかった理由。 I am No.4
ある年月、東京で、糖尿病では超有名な病院で、糖尿病専門医として勤務していると、それなりに有名になってました。
すると、有る時、上司の松岡健平先生から、呼び出されました。
「おまえは、糖尿病学会では有名にしないからな」
と、そう言われたわけです。
その時は、既に書店では有名だったので、別にそう言われても何も動揺することはなくして、ただただ、「なぜですか?」と訪ねました。すると、
糖尿病学会の評議員には、1施設3人の医師までしか、立候補ができない。だから、お前は立候補はできない。誰からも推薦は受けれない。
そう言われた記憶があります。
その時、私の上には、松岡先生、穴沢先生、渥美先生という、糖尿病学会で有名になりたいし、糖尿病学会のために尽くしたいと思っている先輩たちが、3人いたのです。
よって、私は、No.4 でした。
No.4であれば、糖尿病学会の規則から、評議員選挙には立候補できないわけです。人数は3名までと決まっているわけですから。
そこから、「あっ、そっか。では、糖尿病学会では有名にならなくてもいい道を選ぼう」
つまり、フリーランス糖尿病専門医のほうが、身軽でいいや、と、そう思ったわけです。
糖尿病学会の評議員になるということは、ある意味で「群れの中に入る」ということかもしれません。今では、ドクターXがテレビ化してますから、「群れを嫌うドクター」って、かっこいいと思う方も多いかもしれません。
ですが、当時は、違いました。
「群れを嫌うドクター」は、本当に、実力をつけるしかなかったわけです。
私が70冊もの書籍を出版できたのは、もしかしたら、この、No.4、であって、よかっただったかもしれません。
糖尿病学会のために寄与した事は、沢山ありますが、こうした事情から、評議員になったことは一度もなく、よって、Dutyを背負わされる事も1度もなくて、これました。