なぜ、若い時に書籍を書こうと思ったのか?
大学をでたばかりの頃は、医師は書籍は医学書を読むものだとばかり思ってました。
なぜなら慶応大学の医学部では6年生になると、とたんに、英語が読めない奴は駄目な奴だ、というレッテルを貼られていた頃の時代だったからです。
そして、書店においてある「医学書」は、何々、有名教授が、高齢になって、医学部がある大学を辞めて、その「退官記念として出版した書籍」ばかりだった、そんな時代でした。
だから、なんだかワケがわからない動物実験の話題や、細胞レベルの話題が、ごちゃごちゃしていて、とても分かりにくかったのでした。
そんな時代があったわけです。
一方では「●●式ダイエット」という医療ライターが書いた書籍も沢山、ありました。まるで、素人ライター達でした。
そこで、ふと、思ったのでした。
「あれ?医学部を卒業したばかりか、糖尿病を専門にしたばかりの医師が書いた本は一冊もない」
そう思ったのでした。それが、27歳くらいの頃でした。
だったら自分が書いたら、もっと面白く、分かりやすく書けそう、そう思ったのでした。
ですが、当時は、「東京都済生会中央病院の、一勤務医」が書いたという書籍などは、「権威性に乏しい」とされ、出版社は、相手にしてくれませんでした。
その時、「もしかして、売れる本なら、出版社は相手にしてくれるだろうか?」と思ったわけです。
そう思って創ったのが、「外食コントロールブック」でした。つまり、肥満:糖尿病治療のための「ダイエット」の書籍だったわけなのです。
結局、「ダイエット」という用語を、基軸にしたら、マスメディアから沢山の依頼がくるようになりました。新聞社や雑誌社から、沢山の取材がきたのも、その頃です。みのもんたさんがMCの番組からの、オファーもありましたが、さすがに恥ずかしくて断りました。
書籍が売れると、嬉しい事に、書店の店員さん達が、私の名前を覚えてくれるようになりました。私の名前があるだけで書店では平積みにしてもらっていたこともあります。
ダイエット本で売れる、3人の鈴木、と言われたこともありました。
「鈴木そのこの、油抜きダイエット」
「鈴木政成のダンベルエクササイズ」
「鈴木吉彦の外食カロリーブック」
そういった時代に、メディアからいろんな取材をうけていたものでした。
しかも、驚いた事に、
「鈴木その子式」は、40年ぶりに、アップデートしてます。笑。