ネットバブルから医大の大学教授まで。
2000年4月に、So-netのジェネラルマネージャーとして、”Medical Profession"の機能を拡充し、そのコアとなった「MR君」を公開した時には、かなり世間には大々的にさわがられました。多くの新聞記者達が集まり、マイクを何本も立てられました。
「日本の医療の未来をどうひっぱるおつもりですか?」と質問された事は、忘れられない記憶となっています。今になって思えば、ちょうど「インターネットバブル」と言われた時代のまっただ中にいたわけです。
そこで、そのままネット社会で生計を立てるようになっていれば楽だったのでしょうが、私は、医師の道を選びました。
医師として、やり残した事が沢山、あったし、アメリカではミトコンドリアが大ブームでしたから、ミトコンドリア糖尿病の第一人者として、臨床にもどらなくては、という臨床家としての責任感もあったのです。
実際、その後、私の研究は評価をうけ、日本医科大学の客員教授にまでさせていただきました。
日本医科大学 客員教授で検索すると、今でも現役の医師や研究者がいるようです。
当時は、同じ客員教授に、中村祐輔医師もいる、と聞いていたもので、二つ返事でした。それから、13年間、教授を務めました。