ナイスコントロール ガリクソン投手からのおくりもの 連載(7)
次に大事なのが運動療法です。体に余分なエネルギーをそのままにしていては、なかなか筋肉の中にとりこまれません。糖分を筋肉に取り込みややすくし、それによって血糖値を下げるためには、筋肉での糖分の消費を増やす必要があります。これが運動の意味です。ですから糖尿病患者は、毎日コンスタントに運動をする必要があります。僕にとっては仕事である野球そのものが運動ですから、運動療法療についてはむしろ喜んだくらいでした。野球ができないのではなく、野球をしたほうが糖尿病の治療になるというのですから驚きました。
このように最初の内は、何も分からなかった病気のことも、次第に全体像が分かってきました。糖尿病の場合は勉強すればするほど、気が楽になるものだということも知りました。そして、周囲の患者さんたちの生活や、治療に対する態度もとても参考になりました。食事に対する細かい注意やテクニックなども栄養士さんだけでなく、まわりの糖尿病の先輩達が詳しく教えてくれました。また同時に、自分の他にも、たくさん糖尿病の患者さんがいることを教えてくれました。そして、”おい、ビル、大丈夫だよ。僕の親戚にも糖尿病の人はいるから、きにするなよ。”、”こんな有名な人も糖尿病なんだぜ。”などと声をかけてくれるのです。本当にこのように多くの糖尿病の仲間がいるということを教えてもらうことは励みになりました。それまでは、なにか特殊なことをし、特殊な生活をしなければいけないかと思いがちだったのですが、全く反対で、あたりまえの規則正しい健康的な生活をすれば、あたりまえの社会生活ができ、立派に活動していけるものだ、ということが分かってきたのです。
この時、幸せか不幸か、僕はもはや野球の世界では有名人になっていました。ですから、僕が入院し後数日して、糖尿病になったことは新聞にでてしまいました。この新聞を読んだときは、さすがに不安になりました。いったい、まわりのみんなは糖尿病のことをどう思うだろう、最初に僕が考えたように、とても恐ろしい病気だと思うだろうか。他人に移る病気だと思い、僕に近付くのを怖がるだろうか、きっとみんなから付き合いを断わられるかもしれない、パーティーの時はどうしようか、など、様々な思いが僕の頭をかすめました。
でも幸い、僕の病気を知って、心配してくれる人はいたものの、僕から去っていった人はいませんでした。むしろ、みんな僕のことを心配し、手紙を沢山おくってくれました。友達だけではなく、チームの仲間もふくめて周囲のだれもが僕が糖尿病になったことを知っていました。
最初は病気のことがオープンになることを恐がっていた僕も、しだいによかったのかもしれない、と考えるようになりました。つまり、食事をするにしても、周りのみんなのほうから気をつけてくれるようになり、いちいち病気のことを説明する手間が省けたからです。でもみんなが単なる興味だけをもってくれることがありがたいことかどうか、複雑な気持ちのこともありました。ときには ”こんな若いのに病気になってかわいそう”、と言われることもありましたが、これは苦痛でした。なぜならこの時にはもう僕は糖尿病を持っていても普通の生活ができることを確信していましたから、このような同情はむしろ他人とは違うと差別されているようで、なにか自分がなさけなくなってしまうからです。
両親とは離れてくらしていましたが、ずいぶん励ましてくれました。そして、なによりもありがったことは、みんながそれまでの僕とまったく同様に扱ってくれたことです。この時の僕には、このように全く特別扱いしてもらわないほうがありがたかったのです。これはへそまがりでしょうか。でも、きっと他の糖尿病の人達も同じだと思います。誰だって、病気だから特殊と言われるのは、よい気持ちがするはずがありませんから。
担当のお医者さんもとても励ましてくれました。野球もできると言われました。これは本当にありがたったことです。僕には、不安がありましたけれども、この病気でよかった、と考えれるようになりました。もっと、怖い病気だったら、もうこの時点で運動をあきらめなければならなかったわけですから。
そして、不幸中の幸いならば、僕はなんとかこの病気をもちながら、野球にもう一度挑戦してみようという気になることができました。No 1の野球選手になるのと同時に、またNo 1の糖尿病患者になろう、と思いました。
ナイスコントロール!―ガリクソン投手のおくりもの
ビル・ガリクソン (著), 鈴木 吉彦 (著)
医歯薬出版株式会社
supported by 放射線技師 H