糖尿病治療薬:マンジャロの処方をご希望の患者様の方々へ

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糖尿病の新薬:マウンジャロ(mounjaro)に関係した学術論文や、トピックス、ニュースなどを、要約して掲載していきます。糖尿病患者様の皆様の、学習用素材として、ご利用ください。

ナイスコントロール ガリクソン投手からのおくりもの 連載(11)

 でも、幸運の女神は僕を見捨てませんでした。この僕の成績を、モントリオールエクスポズの首脳陣が認めてくれたのです。1980年5月、僕は夢にまでみた大リーグの投手としてマウンドに上り、一人の社会人として、再復活できたのです。とうとう僕の夢が実現したのです。


 僕の好調なピッチングはその後も続き、そのシーズンの終わりには10勝5敗をマークしました。そして病気になる以前よりも、マウンドの上で、人間的にも強くなり大きくなった気がしました。僕の一生に思い出に残る試合は、この年の対シカゴーカプス戦です。一試合で18三振を奪い、これは大リーグ新人投手記録になりました。そしてその年のナショナルリーグのルーキーピッチャーにも推薦され、第2位に選ばれました。また、”スポーティングーニューズ”誌選定の最優秀新人投手にも選ばれました。数カ月前の自分が信じられません。


 僕は速球投手でした。この頃は、軽く150キロのスピードボールを投げていました。球威もありました。得意なのは、インサイドせめで、この攻めは僕がリトルリーグの時のコーチから教わってきたものです。でも、これは大リーグでも立派に通用しました。特にインハイの速球は誰も打てませんでした。病気があっても、ここまでできるんだ、こうした自信はとても大きなものでした。そして打者たちは、不思議がっていたかもしれません。どうして病気をもっている奴の球を、健康な俺がうてないんだろうか、って。


 自分の世界を狭くしたくなかったから、パーティに誘われても断わりませんでした。でも食事についてはとても気を付けるようにしました。糖尿病の食事療法でとる食事というのは、言ってみれば健康食品ですから、カロリーの高そうなものは、どうどうと食べないようにできました。また、まわりの友達も気を付けてくれましたし、もしあまり食べたくないときには、あらかじめ自宅で食事をとってから出かけ、パーティではあまり食べないようにしました。このようにすれば誘惑に負けないですみますから。それからパーティは楽しむべきものですから、自分にあった楽しみかたをみつけようとすることが大事なのです。


 でも周りの人が糖尿病を知らない場合には確かに困ってしまいます。しかし、そういう時は、糖尿病のことを詳しく説明するようにしました。こういう努力を怠ってはいけないと思うんです。その人とは関係のない病気のことを分かってもらうのですから、それは相手にとっても大変なことなのです。その相手の苦労をまず僕自身が理解しなければいけないと思いました。


 自分で自分の調子を管理していく自信ができてくれば、もっともっと友達にも自由に糖尿病のことを話せるようになりした。それに10年前でしたら、アメリカでも秘密にしようという傾向がありましたが、最近ではみんながオープンにする傾向になっています。問題は、友達に対する話しかけかただ、と割り切れるようになってきました。



ナイスコントロール ! - ガリクソン投手のおくりもの
ビル・ガリクソン (著), 鈴木 吉彦 (著)
医歯薬出版株式会社


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